2014年5月26日月曜日

116-118.柚木地区の六地蔵塔

116.三本木観音堂(佐世保市柚木町)


 現在の地名は、佐世保市柚木町3組というそうですが、地区の人たちは、三本木地区と呼ぶことも多いそうです。
 普通、お地蔵さんの前掛けは赤色と決まっていますが、ここのは白色で、一体型のお地蔵さんが、2体ありますが、どちらも白色の前掛けです。そばに咲いているサルスベリの花も白色でした。お地蔵さんのかぶっている帽子は夏場なので、野球帽子ですが、冬になれば、毛糸の帽子に替えてもらわれるそうです。
117.筒井墓地の六地蔵塔(佐世保市筒井町)


 柚木地区には、筒井姓の方がおられます。昔は、山伏とかまたぎなど山の中を住みかとする人たちが多かったそうですが、江戸時代以降、里に定住するようになったそうです。
 この墓地も筒井家のもので、古い宝篋印塔の墓も並んであります。


 この塔の、竿石には八卦見に使う「算木」が○の中に彫られています。この筒井家は山伏さんと何らかのかかわりが感じられます。

118.野中地蔵堂の六地蔵塔(佐世保市筒井町)


 上柚木でも下岳地区のお堂にありました。しっかりした造りで、彫られた文字もはっきり読めます。明治45年(1912)ですから、100年前のものです。


2014年5月19日月曜日

113-115.佐世保市中心地区

113.山中観音堂(佐世保市桜木町)



 桜木町バス停近くの、お地蔵さんは非常によく目につきます。赤い前掛けの他に腰巻(?)それに小さい一体型のお地蔵さんには赤い前掛けと帽子まで付けてあります。
 龕部もこれまで見た中では最も大きなもので、7仏が彫刻されています。
 現在の町名は「桜木町」ですが、佐世保村のころは山中免でした。明治35年に佐世保村が一足飛びに佐世保市になる時、山中免(桜木町、春日町)と横尾免(横尾町)、熊ケ倉免(赤木、田代町)などが市制に反対して、「佐世村」(東彼杵郡)となり、佐世保市はこの一部地区を分離して市制をひきました。
 当時は佐世保の外れだったのが、今では中心地と言えるところです。

114.光輪院(佐世保市名切町)



 名切グラウンドから坂道を登ると、光輪院というお寺があります。その入口の外、道路沿いに、きっちりとした六地蔵塔があります。年代が彫られていないので、分かりませんが、明治以降、大正の頃のものではないでしょうか。


115.冨田家(佐世保市長尾町)



 個人のお宅の庭に、珍しい石造物十数個と一緒にあります。
 冨田家は天正14年(1586)三川内の井手平城で討ち死にした岡甚右衛門の三男が武門を嫌って、早岐で商売を始め、その子孫は、佐世保浦で酒造業を営み繁昌して、見晴らしの良い、長尾町には別荘として建てられたものだそうです。酒造場は昭和20年の佐世保空襲で焼け、出荷を待っていた特級酒「烏帽子正宗」などが、佐世保川を炎をあげて燃えながら流れたそうです。
 この別荘付近にも、焼夷弾は落ちたそうですが、直撃を免れ、現在も残っています。この六地蔵塔は現当主の祖母に当たられる方が、明治年間に建てられたそうですから、像容もはっきりしています。
 なお、岡甚右衛門の子孫として、武門を継いだ方の人は、佐世保市内で「岡歯科」医院をされています。明治になる直前、平戸藩の郡代役所が、中里から佐世保へ移されますが、その場所に近いところです。
 

2014年5月12日月曜日

110-112.瀬戸越方面の六地蔵塔

110.矢峰バス停の六地蔵塔(佐世保市矢峰町)



 国道筋、矢峰バス停にあり、赤い前掛けは、まるで腹巻をしているように目立ちます。がっしりとして完全に揃い、コンクリートで基礎は固められています。近くの少し高いところから移されたと言われています。82と同じく、宗金親の供養塔と言われています。 宗金親は、瀬戸越の大智庵城で生まれて数奇な生涯を送っていますので、生地が見えるところに供養塔が建てられたのでしょうか。付近の人のお参りが絶えないようです。

111.泉福寺地蔵堂1(佐世保市瀬戸越3丁目)



 この地蔵堂の奥に、泉福寺洞窟遺跡があります。旧石器時代からの遺跡が発見され、日本史に書き加えられました。特にここで発見された「豆粒文(とうりゅうもん)土器」は世界最古とも言われています。

112.泉福寺地蔵堂2



 こちらは竿石が欠損しています。この付近に昔、泉福寺と言う寺があったそうですが、場所は特定していないようですが、泉福寺と言う地名は残りました。裏山の岩盤には観音様やお地蔵さんが、彫られていたそうですが、道路拡張のため像の部分だけ切り取られ、お堂に展示されています。




2014年5月5日月曜日

105-109.十文野の六地蔵


105.岡本阿弥陀堂(佐世保市十文野町



 十文野と書いて「ともんの」と読みます。皆瀬地区の山手になります。明治の初めには、皆瀬地区の中心地として、最初の小学校が始まったところだそうです。
 岡本阿弥陀堂の傍らに石像らしいのが葛にうもれてみえたので、取り除いたら、六地蔵さんの龕部だけありました。

106.岡本阿弥陀堂の上1



107.阿弥陀堂の上2



 岡本阿弥陀堂の上の畑のあぜ道に2基並んでありました。106は正体ですが、107は笠も中台もなく、龕部のお地蔵さんの像もかなり流れています。なぜここにあるのか分かりません。

108.打越観音堂1(佐世保市十文野町) 



109.打越観音堂2



 十文野公民館のそばに打越(うちこし)観音堂は新しく建てられています。この二つのお地蔵さんは龕部だけで、落ち葉に埋まるようにしてありました。笠を載せるための凸があるので、周りを探しても見つかりませんでした。竿石もあったと思います。
 これらのところには、相浦谷、新四国88か所めぐりの札が掛けられていますが、近頃では、このおめぐりさんは全く行われていないそうです。