ここは、見つけにくい所でした。このあたりの道は生月に行くときには、必ず通るのですから、今までに何十回も通っていたでしょう。県道から下る道も似たようなものがいくつもあり、迷ってばかりいました。迷い込んで、行止まりの家の庭で尋ねたら、それは我が家の墓地で、ここから行けばすぐと教えられついに探し当てました。木引町では4基目です。立派な重制の六地蔵塔です。造られた年代もはっきり読めます。
宝暦3年ですから、1753年江戸時代の中頃、江戸では柄井川柳が大活躍していたころです。
しかも、この六地蔵さんには光背がきれいに良く分かります。石の痛み方が少なく、高級なものではないけど、質が良い石と思えます。
平戸のこの辺りは、個人の墓地に六地蔵をまつることが多いように感じられます。