平戸観光の絵ハガキで有名になった「寺院と教会の見える風景」、ここと崎方公園との間に、石畳の遊歩道が良く整備されています。その遊歩道沿いの墓地で、ザビエル教会に近い所に六地蔵塔がありました。
隣に元禄2年に建てられた童子の墓石があり、その子供のために供養塔として建てられたものと思われます。
火袋がある珍しいもので、2例目です。したがって、お地蔵さんは4体しか彫られていません。丸みを帯びた小型の竿石はいかにも、幼くして亡くなったわが子を慈しんでいる親の情愛が感じられます。夜になれば灯を点した風景が浮かぶようです。
147.平戸中学校上墓地 左 (平戸市鏡川町)
立派な供養塔と五輪塔の前に左右一対の六地蔵塔です。供養塔には、慶安2年(1649)の年号が読めます。石積みの上の塔は、松浦家とありますが、殿様ではなく分家筋のようです。
148.平戸中学校上墓地 右
こちらの六地蔵塔には、寛永10年(1633)の年号が見られます。供養塔よりも六地蔵塔が古いということは、別の墓がもっと早い時期に建てられていたのかも知れません。
この付近の墓地は士族階級のものと思われ、広い敷地ばかりです。ここは手入れされていますが、かなり荒れて、子孫が近辺にはいないのではなかろうかと思わせる墓地もあります。
149..平戸中学校上墓地 上段
147,148のさらに上段に五輪塔の前に立派な六地蔵塔です。上質な安山岩を使っているので、寛永9年(1632)の建立年の文字も読めます。
左の板碑は、秀吉の朝鮮出兵の「文禄・慶長の役」で戦死した侍の供養塔です。
この辺りの墓地には謎の「ウハキュウ」文字の板碑が随所に見られます。
150.松浦史料博物館(平戸市崎方町)
御部屋坂から博物館への登り口のお堂に笠と龕部だけの六地蔵さんがあります。何度も前を通り、写真も撮っていたのに、忘れていました。坂口さんも記録されていて、書き終わったものと勘違いしていました。
一緒に探し回っている吉永さんから、この龕部は最教寺の佐川主馬の墓地前にある台座だけのものに載せれば合いそうだと指摘され、何度も行き来して見比べました。
写真の五輪塔が佐川主馬の墓で、その供養塔として六地蔵さんが建てられたのでしょうが、なぜか龕部ないので、1基とは数えていませんでした。
よく見ていたら、石の質も同じようだし、石ノミの切れ味も同じように見えます。石質の詳しい分析をすれば判明するでしょうが、そこまでする気はありません。
写真を合成したらやはり合いそうな気がしてきました
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