2014年1月27日月曜日

45-48.誓願寺

45.墓地入り口右(平戸市戸石川町)



 誓願寺は平戸市の旧城下にあり、周り中に墓地がひしめきあった様相を呈しています。石畳の続く本堂の上にある墓地へ行くと入り口に、左右一対の六地蔵塔があります。
 右側のものは、均整のとれた美しいものです。

46.墓地入り口左


 こちらは、中台が2個あり、その分かなり背が高くなっています。
最初から一対だったのかどうか、分かりません。

47.個人墓地(大)

 最初見たときは、びっくりするほどの高さです。測定したら、3メートル40センチありました。坂本雅柳さんの「九州の六地蔵考」では、特殊なものでは、4.1メートルというのがありましたが、重制の六地蔵塔としては九州で最も高いのではないでしょうか。ということは日本一でしょう。中台は2個、竿石は3個、あまり高いのでお地蔵さんのお顔ははっきり見えないのが難点です。

48.個人墓地(小)

 小さいというのは3.4メートルと比べてですから、他と比べたら十分に大きい部類に入ります。江戸時代に、平戸には豪商と言われる人が何人もいます。そのような人が建てたのでしょう。前の住職に墓地の持ち主を聞きましたが、当人に聞いたら違うと言うので結局分かりません。
 誓願寺の入り口には、江戸時代に架けられた、石のアーチ橋があります。誓願寺橋といいます。平戸には石のアーチ橋は他に2基残っています。有名な幸橋(オランダ橋ともいう)とこれを造る時の雛型として造られた法音寺橋です。


2014年1月20日月曜日

43.44.福島の六地蔵塔

43.大山の六地蔵(松浦市福島町端免)


 大山地区は福島の真ん中の山の中の小さな集落にあります。松浦市の文化財紹介の写真では、笠が傾いて壊れそうな感じがしましたが、現地に行ったらきちんとされていました。近所の方が修理されたとのことでした。
 龕部と中台の間に四角な石があるのは少しおかしい感じです。

 すぐ近くに「大山百人塚」という古墓があり、数十基ほどの五輪の塔や宝篋印塔が雑然と集まっています。これらは、16世紀から17世紀にかけての形式のものと言われています。そんなに昔、有力者がこの付近に何代にもわたって居たのでしょうね。

44.浅谷観音堂(松浦市福島町浅谷免)


 浅谷(あさがや)地区は福島の中心地から少し離れたところで、有名になった「土谷(どや)の棚田」に行く道から、少し海側に入り込んだところにあります。

 
 ここも古い石塔類がコンクリートの台座にきちんと並べられています。寄せ集めで、ただ四角い石を重ねただけみたいなのもあります。六地蔵さんの基礎はしっかり埋め込まれているので大丈夫でしょう。
 
 松浦市のものはおしまいです。次回から平戸市に行きます。


2014年1月13日月曜日

37-42.鷹島の六地蔵塔

 鷹島の六地蔵については、鷹島在住の郷土史家、柴山喜六さんに案内していただいたので、楽にたどり着けました。
 鷹島は昔から石材の島として有名で、現在も続いています。そのせいか砂岩は1基もなく、すべて地元の玄武岩を使用しているように思えました。

37.阿翁浦観音堂(松浦市鷹島町阿翁浦)



 漁港をとり囲む集落の、少し高段に観音堂があり、大きな木の下に六地蔵さんはありました。付近には墓地もあります。
 この石塔の特徴は、竿石2本が6角柱です。鷹島ではここだけです。農村ではなく、漁村にあるのも珍しいことです。

38.里阿弥陀堂(松浦市鷹島町里)

 阿弥陀堂の一角に五輪の塔や他の石碑と一緒に寄せ集められた状態でありました。中台だけがありません。周りの木立が大きくなり、昼間でも薄暗いところでした。

39.刀の元(とうのもと)(松浦市鷹島町里)

  五輪の塔と共に小高い盛り土の上にあります。元寇の戦いで敵の捕虜の首をはねたところと言い伝えられていますが、これらの塔が建てられたのは300年以上後の時代です。六地蔵塔は天正13年(1585)の建立です。
 龕部が赤いのは、子供の病気の回復を願うおまじないだそうで、今も一部の人がやっているそうです。
  
 
 
40.蓮乗院(松浦市鷹島町石川)


 現在はこのお寺に安置されていますが、もとは、高校の校庭にあったというのですが、移動されても完全な姿です。

41.神崎阿弥陀堂(松浦市鷹島町神崎)


 坂本雅柳さんが訪れたときは、なかったようですが、今は神崎(こうざき)地区の阿弥陀堂が建てられています。ここも古い五輪の塔や一体型のお地蔵さん等も寄せ集められています。

42.今宮神社(松浦市鷹島町三里)

 この六地蔵塔の建立は、文政10年(1827)と分かります。 
現在は今宮神社としか呼ばれませんが、神仏混淆の頃、「満福寺(まんぷくじ)」というお寺があったそうです。明治の初めに廃寺になって、神社だけが残りました。
 そばに、小さなお堂がありますが、そこには、平安時代後期の「満福寺の木造阿弥陀如来座像」があるそうです。


2014年1月6日月曜日

34-36星鹿の六地蔵塔

34.浄土寺(松浦市星鹿町岳崎免)

 星鹿(ほしか)漁港のすぐ傍にある、浄土宗のお寺です。塀の外の駐車場の隅に六地蔵さんはありました。
 中台が2個あり、下のものは竿石2個の間にあります。この様式は初めて見ました。基礎もしっかりしており、花も供えられてきちんと整備されています。
 近くの城山(じょうやま)には車椅子でも登れるスロープ付きの展望台があり、平戸島や壱岐の島、馬渡島(佐賀県)などの島々も見え、反対側には長崎県北部と佐賀県の山々もよく見えます。

35.羽黒神社 奥 (松浦市星鹿町岳崎免)



 現在は羽黒神社だけしかありませんが、奥に見える廃墟はお堂です。明治のはじめに廃仏毀釈でそれまであった、真言宗の金泉寺が廃寺になっています。途中の道は荒れていますが、四国88か所めぐりの石仏が両側に並んでいます。今では誰も参る人はいないそうです。

36.羽黒神社 手前



 こちらの砂岩製のものは上から溶けかけています。かろうじて六地蔵さんと分かります。羽黒神社の境内には初夏のころ、タシロランという葉緑素をもたない、幽霊花とも言われるものが落ち葉の中に咲きます。