2014年1月13日月曜日

37-42.鷹島の六地蔵塔

 鷹島の六地蔵については、鷹島在住の郷土史家、柴山喜六さんに案内していただいたので、楽にたどり着けました。
 鷹島は昔から石材の島として有名で、現在も続いています。そのせいか砂岩は1基もなく、すべて地元の玄武岩を使用しているように思えました。

37.阿翁浦観音堂(松浦市鷹島町阿翁浦)



 漁港をとり囲む集落の、少し高段に観音堂があり、大きな木の下に六地蔵さんはありました。付近には墓地もあります。
 この石塔の特徴は、竿石2本が6角柱です。鷹島ではここだけです。農村ではなく、漁村にあるのも珍しいことです。

38.里阿弥陀堂(松浦市鷹島町里)

 阿弥陀堂の一角に五輪の塔や他の石碑と一緒に寄せ集められた状態でありました。中台だけがありません。周りの木立が大きくなり、昼間でも薄暗いところでした。

39.刀の元(とうのもと)(松浦市鷹島町里)

  五輪の塔と共に小高い盛り土の上にあります。元寇の戦いで敵の捕虜の首をはねたところと言い伝えられていますが、これらの塔が建てられたのは300年以上後の時代です。六地蔵塔は天正13年(1585)の建立です。
 龕部が赤いのは、子供の病気の回復を願うおまじないだそうで、今も一部の人がやっているそうです。
  
 
 
40.蓮乗院(松浦市鷹島町石川)


 現在はこのお寺に安置されていますが、もとは、高校の校庭にあったというのですが、移動されても完全な姿です。

41.神崎阿弥陀堂(松浦市鷹島町神崎)


 坂本雅柳さんが訪れたときは、なかったようですが、今は神崎(こうざき)地区の阿弥陀堂が建てられています。ここも古い五輪の塔や一体型のお地蔵さん等も寄せ集められています。

42.今宮神社(松浦市鷹島町三里)

 この六地蔵塔の建立は、文政10年(1827)と分かります。 
現在は今宮神社としか呼ばれませんが、神仏混淆の頃、「満福寺(まんぷくじ)」というお寺があったそうです。明治の初めに廃寺になって、神社だけが残りました。
 そばに、小さなお堂がありますが、そこには、平安時代後期の「満福寺の木造阿弥陀如来座像」があるそうです。


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