2013年10月14日月曜日

はじめに

六地蔵塔とは

 お地蔵さんといえば、町角のどこででも見かける、と書いたところでイメージはあるけど、実際にはどこにあるのだろうと自分でも簡単には思い出せません。しかし、中年以上の方は写真のような赤い前掛け姿は容易に想像できると思います。日本で最も多い仏様はお地蔵さま(地蔵菩薩)と言われています。
 六地蔵と言ったら次の写真を思い浮かべる方もおられると思います。墓地の入り口などで6体のお地蔵さんをずらっと並べたものものです。
 

 1体型六地蔵とか六体六地蔵と呼ばれるものですが、これはあちこちで見かけるようですが、意外に少ないものです。写真のものは「高筈(たかはず)の股のぞき」で有名な佐世保市中通町から高筈を通り中里へ抜ける相浦の町が良く見える所にあります。
 

 有名なものに江戸六地蔵というのがあります。


江戸時代、広く市中から寄進者を得て、江戸の出入口6箇所に銅を鋳造して造立されたものです。1番目は東海道(品川寺)、2番目は奥州街道(東禅寺)、3番目は甲州街道(太宗寺)、4番目は中山道(真性寺)、5番目は水戸街道(霊巌寺)、6番目は千葉街道(永代寺)となっていますが、6番目のものは明治元年神仏分離令による廃仏毀釈により取り壊され、現存しませんが、他はすべて残り東京都の文化財に指定されています。


 これより古いのが、京都の六地蔵です。1.奈良街道(大善寺)、2.西国街道(淨禅寺)、3.丹波街道(地蔵寺)、4.周山街道(源光寺)、5.若狭街道(上善寺)、6.東海道(徳林庵)です。
平安後期、後白河天皇が平清盛に勅命を出して、都の出入口に祀るようにしたということです。こちらは全て木像ですからきちんと堂内に納められていて、重要文化財に指定されているとのことです。

 六地蔵信仰とは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)に迷い苦しむ全ての人々を救済するように願って祀られた六体の地蔵菩薩を巡拝することで、京都や江戸では6箇所をめぐり歩いていたということです。京都では800年以上も続いているそうです。

 それでは私が探し回った六地蔵塔に話を進めます。
 
六地蔵石幢(せきどう)と書かれた文献もありますが簡単に「塔」で書きます。
各部の呼び名は上から
 1.宝珠(ほうじゅ)
 2.笠(かさ)
 3.龕部(がんぶ)
 4.中台(ちゅうだい)
 5.竿(さお)
 6.基礎
の6部があれば完全なものです。
 龕部にはお地蔵さんが六体ぐるっと彫られています。ですから、1か所で6箇所めぐりの御利益があるようにとの事かも知れません。数百年を経た石材はかなり痛みがひどいものもあります。宝珠と笠が一体になったものも多くありました。竿が2本のものも多く、これらは佐賀型とも呼ばれています。石材としては砂岩、安山岩、玄武岩などその土地のものが多く使われているみたいです。中には龕部だけしか残っていないものもありましたが、これらも昔は立派な塔の形式で造られていたものとして扱いました。次回から六地蔵塔めぐりを始めます。







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