166.平戸市岩の上町24番札所
最教寺の入り口近くで、細い路地を隔てて、職人町の公民館があり、その前にお堂があり、古い井戸もあり古い井戸端に火袋が彫られた六地蔵さんとはいえ実際にはお地蔵さんは4体しかありません。この横にももう一体六地蔵さんがあります。
167.
光背を持つお地蔵さんの下に六地蔵さんが刻まれています。こんな六地蔵に出会ったのは初めてです。しかも、丸い穴を掘りかけた途中みたいなものです。
偶然なことから松浦家の分家の松浦鈴子さん(平戸藩の普門寺跡にお住まいです、現在の普門寺は明治の初めに木ケ津に移っています)にお会いしてお話を聞くことができました。鈴子さんのおじいさんの三輪直次郎さんという人がここいらのお地蔵さんを造られたとのことです。大変器用な人だったので、石工に頼んだのかも 知れないけれど、自分で彫ったのかも知れないとのことです。他にも、作っていたのが平戸藩が松浦水軍として活躍していた昔、軍船の航海上必要な風の方向や強弱を、凧の上につけた「藤カズラ」のうなり音の強弱で知るために揚げていたのが「鬼ようちょう」と呼ばれるこの凧でした。
独特のこの絵柄は、大江山の酒呑童子の鬼を退治した平戸松浦藩主の祖先の渡辺綱の武者絵が描かれています。この鬼ようちょうは平戸の物産館では土産物用に、飾られて販売されていました。この凧作りの第一人者だった三輪義人さんは三輪直次郎さんの孫で、鈴子さんのいとこです。私が江迎にいたころ三輪義人さんとは何度か話をしていて、偶然の出会いから不思議な縁を感じました。三輪義人さんはすでに亡くなられたそうで、鬼ようちょうが土産店でも見かけなくなりました。
この三輪義人さんも大変器用な人で、自宅をブロックやコンクリートで何年もかけて一人で造っていました。その後完成して住んでおられました。
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