2015年1月23日金曜日

おわりに

おわりに
1.六地蔵塔の総数(長崎県北部)

 松浦から調査を始めたころ、平戸、佐世保市を含めて、長崎県北部で合計で100基を越すとは思いもよりませんでした。
      松浦市  45
      平戸市  43
      佐々町   5
     佐世保市  68
       (合計  161)
 この数を見たとき、佐世保市が非常に多いことに驚きます。理由としては
① 現在の佐世保市の面積は、合併を重ねた末、平戸市と松浦市を合わせた面積よりかなり広くなりました。
② 佐世保市の近郊のものには、「砂岩」製のものが多く見られます。それには、佐世保では早くから、良質の砂岩が産出しており、六地蔵塔建造が容易だったと思われます。
③ 武士階級(殿様も含めて)の建造で立派なもの、印刻もあり年代が分かり、由緒など分かりますが、数としてはほんの一握りと言えるでしょう。
④ 大半を占めるのは、農民を主体とする一般庶民の信仰から造られたものが多いと思われます。家族の突然の不幸にあったり、悪病が流行したりすると当時の人は、信仰にすがるより他に方法がなかったからでしょう。
⑤ この地方の六地蔵塔の始まりは、戦国時代からのものですから、庶民にとっても、明日はどうなるか分からない不安を抱いていたことでしょう。小さな集落であっても、みんなで労力と小銭を出し合って不安を取り除こうとしたのではないでしょうか。
⑥ 江戸時代に造られたものも多く、佐世保の小集落は城下から遠く離れていて、自分たちで造り、大切に守って来たことは、それなりに余裕があり、西海の一寒村と言われていますが、したたかに生きてきた人々のたくましさが感じとれます。
⑦ 佐世保の宮村は昔、大村藩に属していたためか、お堂もほとんどなく、六地蔵塔も見つけることはできませんでした。大村藩が、当初、キリシタン大名だったことに関係あるのでしょうか。
 平戸でも、隠れキリシタンの里と呼ばれる、裏側地区にも六地蔵塔はありませんでした。

2.松浦には立派なものが目立ちます
 徐福伝説がある、不老山山麓には、天正年間(1573-92)のものが、完全な形で残り、特に龕部の尊像は14体、33体、48体と非常に多く、他では見られないものが4基もあります。それらは講中で建てられたもので、「逆修」の文字もはっきりしており、豊な農地が広がっています。
 文化財としては「松浦型多仏石塔」と区別するべきではないでしょうか。平戸藩内では、平戸よりも早くから開けたところですから、そんなものもあるのでしょう。

3.平戸では個人の墓地内に先祖供養のためと思われる六地蔵塔がかなり多く見られます。

4.明治維新に廃仏毀釈が行われ、神仏混淆だった所は、お寺がつぶされ、神社だけ残りました。その廃寺の後に、小さなお堂が建てられ、そこに六地蔵塔が残っているものが多数ありました。その中には、お地蔵さんの頭の部分を打ち壊した跡と思われるものもありました。

5.寺院関係では、真言宗の宗派のところに多く六地蔵塔は建てられ、現在も、春秋のお彼岸には八十八か所めぐりとして、参拝をされている所もあり(平戸、佐々)、そこでは、これらの六地蔵さんのところは必ず立ち寄られているようです。
 佐世保地区では中里の東漸寺、日宇の青蓮寺がされていたそうですが、現在は、お巡りはされなくなったそうです。
 浄土宗のお寺にはいくらかありましたが、浄土真宗の寺院では全く見かけませんでした。

    長崎県北の六地蔵塔一覧
1松浦市志佐庄野天正14年(1586)
2 志佐高野観音堂天正12年(1584)
3 志佐寿昌寺1 
4  寿昌寺2 
5  寿昌寺3 
6  寿昌寺4 
7 志佐赤木円成寺跡1 
8  赤木円成寺跡2 
9  赤木円成寺跡3 
10  赤木円成寺跡4 
11 志佐稗木場観音堂 
12 志佐高野松山神社 
13 志佐長野不動様 
14 志佐田の平立岩観音 
15 今福文禄の役供養塔 
16 今福善福寺 
17 今福寺上入り口 
18 今福木場観音堂 
19 調川松山田観音堂1天正年間
20  松山田観音堂2 
21 調川上免宮地西福寺跡1天正8年(1580)
22  上免宮地西福寺跡2 
23 調川護舜寺1 
24  護舜寺2 
25 御厨慈光寺1 
26  慈光寺2 
27 御厨西雲寺 
28 御厨阿弥陀堂1 
29  阿弥陀堂2 
30 御厨小船庚申塚 
31 御厨西木場円福寺 
32 御厨前田街道脇 
33 御厨七郎神社 
34 星鹿星鹿浄土寺 
35 星鹿羽黒神社1 
36  羽黒神社2 
37 鷹島阿翁浦観音堂 
38 鷹島里阿弥陀堂 
39 鷹島里刀の元天正13年(1585)
40 鷹島石川連乗院 
41 鷹島神埼阿弥陀堂 
42 鷹島三里今宮神社文政10年(1827)
43 福島大山百人塚 
44 福島浅谷観音堂 
45平戸市戸石川誓願寺1 
46  誓願寺2 
47  誓願寺3 
48  誓願寺4 
49 鏡川正宗寺 
50 鏡川瑞雲寺 
51 岩の上最教寺1 
52  最教寺2元文5年(1740)
53  最教寺3 
54  最教寺4 
55  最教寺5 
56  最教寺6 
57  最教寺7 
58 大川原観音堂天文12年(1543)
59 獅子明性寺 
60 山中山中観音堂宝暦8年(1758)
61 下中野喜宝院 
62 明川内明の川内 
63 岩の上緑が丘観音堂 
64 大久保天桂寺 
65 薄香井戸端 
66 新町観音堂 
67 田平是心寺 
68 田平日の浦阿弥陀堂 
69 田平日の浦墓地 
70 生月山田地蔵堂 
71 大島大根坂1 
72  大根坂2 
73  大根坂3 
74 大島西福寺1 
75  西福寺2 
76 度島本村薬師堂昭和5年(1930)
77佐々町木場観音堂1 
78  観音堂2 
79 神田延命寺 
80 市瀬観音堂 
81 東光寺 
82佐世保市中里宗金親供養塔 
83 中里中世供養塔永正18年(1521)?
84 中里観音堂跡 
85 中里東漸寺 
86 中里寄せ墓 
87 上本山新豊寺跡1 
88  新豊寺跡2 
89 吉岡犬堂観音1 
90  犬堂観音2 
91 八久保墓地 
92 相浦心月寺跡 
93 新田竹林寺跡1 
94  竹林寺跡2 
95 小川内中山観音堂1 
96  中山観音堂2 
97 菰田水源地 
98 野中阿弥陀堂 
99 牧の地妙観寺跡 
100 牧の地観音堂1 
101  観音堂2 
102  観音堂3 
103 原分坂の下公民館 
104 原分坂の上墓地 
105 十文野岡本阿弥陀堂 
106 十文野岡本阿弥陀堂上1 
107  岡本阿弥陀堂上2 
108 十文野打越観音堂1 
109  打越観音堂2 
110 矢峰バス停弘治元年(1555)
111 瀬戸越泉福寺地蔵堂1 
112  泉福寺地蔵堂2 
113 桜木山中観音堂 
114 名切光輪院 
115 永尾冨田家 
116 柚木三本木観音堂 
117 筒井墓地 
118 筒井野中地蔵堂明治45年
119 三川内本町文政11年(1828)
120 吉福墓地天文17年(1548)
121 横手天満宮.天文期
122 日宇青蓮寺 
123 黒髪地蔵堂 
124 広田三島墓地 
125 早岐大念寺大正11年(1922)
126 針尾祇園寺 
127 庵の浦阿弥陀堂 
128 吉井正平寺跡 
129 吉井福井祥雲寺昭和9年(1934)
130 吉井草の尾寺跡 
131 世知原洞禅寺1大正10年(1921)
132 世知原洞禅寺2 
133 世知原開作墓地元文4年(1739)
134 世知原槍巻1享保17年(1732)再建
135  槍巻2 
136 江迎寿福寺 
137 江迎田の元清浄寺1 
138  田の元清浄寺2 
139 江迎猪調観音堂 
140 鹿町潮音院参道 
141 鹿町船の村地蔵堂 
142平戸市野子阿弥陀寺1寛政4年(1857)
143  阿弥陀寺2 
144 薄香薄香観音堂 
145 大久保雄香寺薬師堂 
146 鏡川中学校グラウンド上墓地 
147  寛永10年(1633)
148  
149  寛永9年(1632)
150 崎方松浦史料博物館 
151佐世保市 相浦洪徳寺 
152 川迎公民館上 
153 吉井古川寺 
154 黒島興禅寺 
155 母ケ浦母ケ浦墓地 
156 吉岡岡村家(家屋内) 
157 江迎鬼突墓地 
158 横尾阿弥陀堂(円明寺跡)天文23年(1554)
159平戸市薄香富永写真館前 
160 生月永光寺 
161松浦市福島山中家昭和20年代
    162平戸市     鏡川瑞雲寺山門横



2015年1月11日日曜日

160.平戸の生月で見つけました

160.永光寺(平戸市生月町里免)

 以前、生月の六地蔵を調べた時、地元の人に聞き2か所の寺を訪ね、生月の寺には六地蔵はないものと思っていました。しかし、肝心の臨済宗の永光寺を忘れていました。
 本堂の前庭にやや小ぶりですが、古色蒼然としたたたずまいで、蔦に絡まっていました。蔦を柱から上の部分4面とも了解を得て取り除きましたが、何の文字も彫られてなくて、年代を知ることはできませんでした。
 
 
 
 この寺には古い梵鐘が伝わっています。明暦元年(1655)の完成とあり、中国からインゲンマメを持って来たことでも有名な禅宗の一派黄檗宗の開祖隠元の名もこの梵鐘には刻まれているそうです。
 
 

2014年12月11日木曜日

159.平戸市薄香で新たに発見

159.薄香・冨永写真館前
 

 細い路地から一段下がった井戸がある所に、単制の六地蔵さんがありました。発見したのは岐阜から来ていた、中西さんです。高倉健が亡くなって、最後の映画「あなたへ」のロケ地として、記帳所も設けられました。記帳のため薄香を訪れ冨永写真館の前に六地蔵さんがありましたと連絡を受け、早速見に行き写真に納めてきました。
 
 冨永写真館は誰も住んでなく、写真館としてロケに使われましたが、その時、多少は手を加えられたかも知れませんが、古いたたずまいをしています。
 薄香では、65.井戸端の項で重制のものを紹介しましたが、単制であるということから、製作年は新しいのかも知れません。その後、薄香や田助の港の井戸端を再調査して見ました。一体型のお地蔵さんはあっても、六地蔵は見つけ出すことはできませんでした。
 
 映画のシーンから2場面を拝借して、入れて見ます。
高倉健が奥さんの古い写真を見ている所

高倉健のすぐ後ろに六地蔵さんはあります。
 
 「そよかぜ」号は現在も、薄香港に係留されています。右側の赤い塔はフェリー桟橋、左のプレハブ小屋はフェリーの待合所です。的山大島と度島行きフェリーは本来、平戸桟橋から発着していますが、北東の風で平戸桟橋が使えない時はこの薄香の桟橋を使用します。
 

2014年8月4日月曜日

151-158.佐世保でも新たに発見

151.洪徳寺 (佐世保市相浦町)
 

 相浦町の古刹、洪徳寺の境内にありました。宗家松浦のお膝元ですから、砂岩ではなく安山岩と思われる石の質も良く、武士階級の人が建てたものと思われます。
   本堂前の白い砂が印象的な庭園の奥まった所に他の石仏と一緒に六地蔵塔もあります。
   竿石は6角柱で、それぞれの面に文字が彫ってあるのは分かりますが、判読することはできません。

152.川迎公民館上(佐世保市相浦町)


 ここは近くに行っても、分かりづらい所です。

 槇の木の根元に、笠、龕部、中台だけがあり、竿石と基礎がありません。龕部は安山岩と思われる立派なものです。笠はところどころ欠けた所があるのは、移動などで傷んだのではないでしょうか。竿石もあったのでしょうが、付近には見当たりません。
 この付近では、一時期、炭鉱がありその時付近はかなりいじられた跡があります。
 この六地蔵さんを見つけ出したのは、愛宕山登りを計画し、下見をしていた吉居博文さんです。相浦川の飛石を渡り、真っすぐ登る古い参道沿いの荒れた道の所です。
 
 現在も愛宕さんの祭日には、東漸寺の住職が「勝軍地蔵」を背中に背負って山頂まで登られるという道でもあります。

153.古川寺(佐世保市吉井町)


 古川寺(こせんじ)は佐々町の古川の観音堂が発祥地といわれる古いお寺ですが、現在は、新しい墓地が整備されて、新しい石塔が目立ちます。その一角に、古い坊さんの墓石などがあり、そこに六地蔵の龕部だけありますが、痛みがひどいものです。

すぐ横に、大きな自然石の三界萬霊塔があります。他の石仏も寄せられています。痛んだ木像もあります。

154.興禅寺(佐世保市黒島)
 
 
 黒島は隠れキリシタンの島として有名です。最近では、黒島の教会を世界遺産に登録しようと長崎県などは頑張っていて、観光客も教会には行ってもお寺にはあまり関心はないようです。
 しかし、キリシタンの歴史はそれほど古いものではなく、戦国時代に、平戸の所領に組み込まれています。津吉の西家が移り住んでいます。その墓地の一角に、六地蔵も慰霊塔として建てられたものと思われます。しかし、竿がないのが残念です。
 
 古い自然石の石塔は西家の先祖の墓といわれています。黒島は、「黒島御影石」の産地として、以前は高級な墓石として使われていましたが、最近はほとんど取り尽くされたのか、石屋も数少なく石の島という感じは受けません。六地蔵の石は黒島御影石とは思われず、玄武岩ではなかろうかと思われました。
 



 興禅寺(曹洞宗)境内は4月始めというのに、明るい陽の光を受けて南国の風情でした。何本もあるバナナの木には今は小さいながらも実を付けていました。食べられるくらいに成長するのではないでしょうか。
 黒島行きのフェリーは相浦港から1日3~4便出ています。現在は写真の「ニューフェリーくろしま」だけしか運行されていませんが、昨年ごろまで、「睦丸」という自動車専用フェリーもありましたが、なくなり不便になりました。
 始発便で行き、最終便で帰りましたが、予約の電話を入れたら、10日先までは、満車だと言われやむなく、自転車で行くことにしました。旧式のフェリーで大型トラックはいなかったけど、8~9台(半分は軽自動車)しか積めません。その内2台は、佐世保市のバキュームカーが毎日のように乗っているとのことでした。自転車で島内を1周した途中で、その1台が稼働中で、かぐわしい香りを発しているのに出会いました。帰りのフェリーには2台揃って乗っていたので、実働時間は11時から3時まで、昼休みを1時間とすれば、3時間しかないことになります。フェリー会社にとっては、大事な固定客のようです。
 
155.母ケ浦墓地(佐世保市母ケ浦墓地)
 

 母ケ浦(ほうがうら)町の古い墓地に、昭和48年に造られた新しい単制の六地蔵がありました。終戦後のものは初めて見ました。近くには一体型6体組の六地蔵も2組あります。
 このお地蔵さんの龕部は四角形で正面に御釈迦様が彫られていて、他の3面に2体づつ、計6体のお地蔵さんが彫られているものです。
 この墓地には古い墓も多く、謎の文字「ウハキュー」が彫られた石塔もあります。
 この石塔には享和3年(1803)と彫られています。
墓地の場所としては、峠の堀切の所で、道路建設で墓地は狭められているかも知れません。
 
156.吉岡町の六地蔵塔(佐世保市吉岡町)
 
 このお地蔵さんは岡村家の車庫兼倉庫の建物の中にあります。これを探し出したのは「洗鱗荘」ブログを書いている人です。近くに六地蔵塔があることは、古い資料等で分かっていたそうですが、見つけ出すのにはかなり苦労されたそうです。
 砂岩ですが、あまり痛んではいません。建物の中にあるからでしょうか、本来屋外にあったものを最近になってから屋内に入れられた経過があります。
 
 そばには、砂岩製の宝篋印塔もあり、どちらも柄物の前掛けが掛けられています。岡村家の場所は「馬子(まご)屋敷」と呼ばれていた所だそうです。屋内にある六地蔵塔は初めてでした。
 
157.鬼突墓地(佐世保市江迎町志戸氏)
 
 この六地蔵さんはかなり新しく、明治以降のもので、昭和ななってからのものかもしれません。単制のものを自然石に乗せてあるようです。
 

 
  桜の木の下で、苔も生えて古めかしく見えますが、中台は蓮華座で、手の込んだ彫り方がされています。
 この墓地は、森家のものです。森蘭丸は本能寺の変で討ち死にして子孫はいませんが、蘭丸の兄の子孫と言われています。
ここの地名は鬼突(おにづき、発音としてはオンヅキ)と呼ばれ、鬼が出そうな所を開墾して住み着いたとも言われています。初代の先祖の墓もすぐ近くにあります。
 
 
 
158.横尾町阿弥陀堂の六地蔵(佐世保市横尾町)
 
 
 
  横尾町も見て回りはしたものの、ここの阿弥陀堂は探せませんでした。将官岳の麓の高台です。佐世保市が、横尾町に簡易水道のコンクリートタンクを設置した所から100mほど、田んぼのあぜ道を歩いて行かなければなりません。途中に、石碑が2か所あり、円明寺跡と思われます。
 この阿弥陀堂は、佐世保新四国八十八か所めぐりの49番札所と表示されています。笠は、欠損して薄い石が載せられていて、中台は上下反対で、2石の竿は、文字が、右と左に書いてあるので、移動して立て直した時に間違ったようです。それを読むと建造されたのは、天文23年(1554)ですから、かなり古いものです。
 
以上で六地蔵塔の紹介を終わりますが、探せばまだ見つかりそうな気がします。その時は、また紹介します。