2014年4月14日月曜日

92-94.相浦の六地蔵塔

92.心月寺跡(佐世保市相浦町)



 心月寺は洪徳寺の右隣にありましたが、明治初期に廃寺となりました。平戸松浦鎮信(法印)が相浦を軍門に下すと、三男の九郎親(くろうちかし)を養子として入れますが、家臣の東甚助といさかいを起こし、刺し違えて二人は死にました。東一党と言えば、半坂合戦で平戸方の伝育坊を打ち取ったくらいの猛者です。傀儡政権とは折り合いが悪かったのでしょう。
 宗金親が九郎親の菩提を弔うために建てたのが、心月寺だそうです。今は荒れ果てていますが、庭園跡や池などはそのまま残っています。その池の真ん中にしっかりした六地蔵塔は立っています。

 この写真、塔の下に石で造られた、亀がいます。亀趺(きふ)といい、あまり見かけませんが、古いところにたまにあります。ここは今でも竹藪となっています。このままでは埋もれてしまいそうです。

竹林寺跡1(佐世保市新田町)



 竹林寺跡はこのように多数の、五輪の塔や宝篋印塔と共に前面左右に六地蔵塔もあります。
 ここも、宗金親によって建てられたと言われていて、母親や、早世した子女も葬られたそうです。

93.六地蔵塔1



 左側のものは笠もなく、中台は宝篋印塔の、ものをあてがわれています。

94.六地蔵塔2



 右側のものは、中台がさかさまに置かれています。それにしてもこんなに込み入って配置されているのは、後世、あちこちにあった墓地のものを寄せ集められた、ということでしょう。
 この竹林寺も心月寺そして87の新豊寺も明治以降は現在の洪徳寺に統合されています。


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