2015年1月23日金曜日

161.山中家が建てた六地蔵

161.山中家が建てた六地蔵(松浦市福島町浅谷免)
 福島町浅谷免の山中篤さん宅の裏に新しい六地蔵さんがありました。昭和20年代に建てたものですから、詳しい話を聞くことができました。篤さんの案内で、伯父さん二人(福一さんと市治さん)から六地蔵建設のいきさつを直接聞くことができました。ただ、この地区の人は「六体地蔵さん」と呼んでいます。
 市治さんの母親「チト」さんが言い出して、伊万里の石工さんに造ってもらい、支払いは市治さんがしたそうです。代金は忘れたそうですがあまり高くわなかったとのことでした。
 なぜここに六地蔵を建てたかというと、市治さんは祖父から聞いた話として、この辺りから人骨が出て、それは戦国時代の平戸の落人のものだと言い伝えられていたそうです。海岸の地名は「皿浦」と書いて「さるら」と今は言っていますが、この海岸一帯が血の浦と呼ばれていたことが言い伝えられているそうですが、血の「ノ」を取って皿としたとも言われているそうです。ですからこれらの落ち武者の霊を鎮めようとチトさんが言い出したのだろうということでした。この六地蔵には竿はありませんが、石を積んでその上に龕部を安置し六角形の屋根を付けてあります。木造の屋根は大工さんの市治さんが作り、板金屋がトタンを張ったとのことです。


 

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