円成寺跡(松浦市志佐町赤木免)
昔の上志佐村には同じ宗派の「無量寺」と「円成寺」があり、どちらも江戸時代には志佐・上志佐を転々としています。
明治4年に無量寺は廃寺となりますが、その跡に円成寺が移ってきています。現在、同寺がある松浦市志佐町浦免、松浦市の中心地です。ここの駐車場が狭くなり、拡張された時、六地蔵塔はこの赤木免の墓地(跡)に移されています。
上写真の説明板が松浦市によって立てられましたが、一部誤りが見受けられます。前出の坂本雅柳さんが昭和40年代に調べられたときには、4基あると記されています。3基とはおかしいと何度も行って調べました。仏像の盗難騒ぎも以前は良くあったので、盗まれたのかもしれないと考えたこともあります。よくよく見たら、4基ありました。坂本さんの年代順に記します。
7.円成寺跡六地蔵塔①
上段に頭光、着冠の7仏、下段に着冠の6仏、13仏が龕部に刻まれています。
建立年は分かりませんが、天正期のものだと専門家は見ています。かなり古いものですが、笠がきちんとあるせいか、像容もはっきりしています。残念ながら中台や竿がありません。
8.円成寺跡六地蔵塔②
龕部は7仏です。実はこの龕部の上に、④の龕部が載せられていて、1基と数えられていたようです。
石の質、色が全く違います。時代も違うでしょう。
平成になってから、浦免の寺からここへ移された時、笠が3基分しかないので、龕部2基を重ねて笠1つで済ませたのでしょう。
9.円成寺跡六地蔵塔③
これは六地蔵さんです。このお地蔵さんの笠は非常に珍しいものだそうです。網代笠といって、禅宗の修行僧がこの笠をかぶって、托鉢に出かける時のものらしいです。
それにしても、ここの六地蔵さんには全て竿がありません。寺地が何回も移り、六地蔵さんもさんざんあっちこっちと移動させられています。どこかでなくなったのでしょうが、石垣などにはめ込まれているかも知れませんね。
10.円成寺跡六地蔵塔④
坂本さんは、九州の六地蔵さんを1000以上探し回られたそうですが、他で全く見かけられないものがあったと述べられています。上の写真でおわかりと思いますが、腕(肘)が4本あります。これを専門家は四臂(よんぴ)と呼んでいます。熟語では八面六臂(はちめんろっぴ)とか、奈良興福寺の国宝「阿修羅像」は三面六臂でとても有名になりました。
福岡の博物館では客が多すぎて、駐車場に車も止められず、ついに見ることはできませんでしたが、奈良に行ったときは、国宝館にスムーズに入れました。この仏像の前は人気があり、渋滞していました。
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