寿昌寺は古くは安倍宗任の屋敷があったところで、「陣ノ内城跡」とも言われています。戦国時代は志佐氏の居城となり、秀吉の朝鮮出兵の時、ここから志佐純高公(朝鮮で戦死)が出陣しました。
松浦市の中心地にあり、城構えとしては大きくありませんが、志佐氏が福井に城を移した後は、出城として使われたそうです。
3.(山門下左)六地蔵塔
4.(右)六地蔵塔
この2つの石塔は同じ形で、文字らしいものも見えますが、今となっては全く判読できません。1対同じころ建てられたものでしょう。現在は、アスファルト舗装された中にありますが、かなり幅が広いので最初のものを移動したことも考えられます。
5.(鐘楼横左)六地蔵
6.(右)六地蔵
境内の鐘楼横には、お地蔵さんや五輪の塔など10基ばかりの石仏が安置されていますが、新しく石垣を組んで、その上にあちこちにあったものを集めたいわゆる「よせもの」と見えます。
特に、左側のものは追加の石垣の上にありますから、他のものより後になってここへ移されたものでしょう。
この2つは石塔というよりは、今まで出てきた重制(宝珠、笠、龕部、中台、竿、基礎からなるもの)ではなく、単制(龕部から上だけのもの)の六地蔵という感じもしますが、本来は重制のもので、移動などにより、竿部などが失われたものと考えられます。
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