15.文禄の役供養塔(松浦市今福町東免)
豊臣秀吉が朝鮮征伐として、大名たちに出兵させた折、平戸松浦家から3000人もの兵を出しています。7年間にもわたる戦いですから、最初の快進撃は勝ち戦でしたが、しまいには反撃に会い戦死者を多数出しています。
確かに、松浦家の御大将、親子(鎮信・久信)も参戦していますが、無傷で帰ってきています。それに比べると、本家筋の今福(松浦定)や志佐(純高)は戦死しています。いつの時代も、権力者は後陣に居て、配下を最前線に出していたのでしょう。志佐から900人の兵を出したとの記録もありますから、かなり無理をさせられていたようです。
こんな訳で、この文禄の役(1593年)で戦死した後、供養塔が建てられ、六地蔵塔も建てられています。
この寺では軒に吊るして打ちならす青銅製の鰐口(わにぐち)が1355年のものとして有名だそうです。
この辺りの地名が、仏坂(ほとけざか)といい、付近には寺や墓地がたくさんあります。
17.寺上入り口(松浦市今福町寺上免)
18.木場観音堂(松浦市今福町木場免)
寺上よりさらに上った集落、木場にあります。最近工事をしたのではないでしょうか。観音堂も倉庫みたいな作りで、付近の整地作業も終わっていない感じです。六地蔵さんの基礎もしっかりやってもらわないと倒れそうな感じです。
かなり山の上ですが、水の便が良いのでしょう。水田も多く豊な感じがするところでした。
かなり山の上ですが、水の便が良いのでしょう。水田も多く豊な感じがするところでした。
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