2013年11月18日月曜日

11-14.上志佐の六地蔵塔

11.稗木場の観音堂(松浦市志佐町稗木場免)



 
 上志佐の稗木場、道路わきの石段を数段上った観音堂境内にあります。ほぼ完全な六地蔵塔です。宝珠と笠が一体型か宝珠がなくなったのかよく分かりません。竿石は1本だけで基礎がしっかりしています。

12.松山神社(松浦市志佐町高野免)




 下高野の松山神社と一般に言われていますが、この神社の御神体は木像8体の他に懸仏(かけぼとけ)2面が奉納されていたというのですから、神仏混淆の最たるものだったのでしょう。江戸時代には「本光寺」が同じ境内にあり、明治の廃仏毀釈により廃寺となり今は小さなお堂が建てられその前に、五輪の塔や一体型のお地蔵さん等がまとめられています。
 この六地蔵は竿がなく単制とも見えますが、重制の竿石が紛失したものと思われます。

13.長野不動様(松浦市志佐町長野免)



 ここと次の立岩観音は松浦市の郷土史家、松永泰麿(やすまろ)さんに場所を教えていただきました。
 
 長野公民館の裏手の高段にある地元の人が、不動様と呼んでいるお堂の横にあります。車で道路を走っていては見つけることはできません。長野の集落はかなり広い範囲ですが、公民館とお堂があるのですから中心地になりそうです。この六地蔵さんは完全な形で残っていますが、銘記がなく建造年が分かりません。

14.立岩観音(松浦市志佐町田の平免)




 この観音堂を見つけるのは随分手間取り、急勾配の坂を下りやっと見つけることが出来ました。
 田の平地区は上志佐から竹の古場経由で伊万里へ行く山道の県境の集落です。四輪駆動の軽トラックでやっと行ける道で、まさに秘境という言葉がぴったりなところです。お堂の中には立派な尻尾のテンがわがもの顔に住んでいました。
 下写真の立岩の滝があり、そこへ観音堂が建てられていて毎年お祭りがされているとのことです。昔は多かったそうですが、今では30戸ほどで午前中に参道(舗装のない坂道)の草刈り、補修を行い、午後から堂内でなおらい(神事の後、飲んだり食ったりすること)をするとのことでした。
 今は近くまで車が行けるけど、江戸時代には人力だけで運んだのですから、大変な苦労があったことでしょう。滝の下には小川が流れていて、それに沿った階段などもあり昔使っていた道跡と思えますが、今は全く使われず荒れ果てていました。
 六地蔵さんは自然石の上に固定されていて、立派なお姿でした。


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