2013年12月16日月曜日

23.24護舜寺

23.護舜寺参道(上)(松浦市調川町中免)





  護舜寺は調川町ではただ一つのお寺です。江戸時代の調川村には4つのお寺があったのに、明治の廃仏毀釈でこの寺だけしか残りませんでした。
 秀吉の朝鮮出兵の時に、平戸松浦藩は、3000人もの兵を出しています。そのとき、お寺の和尚(複数)も連れて行っています。当時は戦勝祈願をさせるより他に方法がなかったのでしょう。その後、護舜寺は平戸藩の手厚い庇護を受けています。この寺の石垣の上に笠石も見られます。笠石は、藩内でも重要なところでわずかに残っているだけです。

24.護舜寺参道(下)





 23と24はすぐ傍にありますが、24は宝珠、笠、中台もなく竿も本来のものとも思えません。龕部だけ、どこか別のところのものを移し替えたと思われます。
 最近どこのお寺も立派に建て替えられ、駐車場や道路の舗装もきれいにされ、その際、石仏は移動させられています。
 山門口に多くの石碑、石塔、お地蔵さん等が寄せられています。その中に、松浦市ではもっとも古いと言われる、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、この石は福井県高浜町の日引(ひびき)のものとも言われています。 



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