2014年3月24日月曜日

77-81.佐々町の六地蔵塔

 佐々町は平成の合併でどことも合併しなかったので、周りは全て佐世保市です。40年前に、引っ越した時から、佐世保市との合併話はあっていましたが、いまだに単独です。合併せずによかったと思うことも結構あります。財政状況がいいとのことですが、たいした産業基盤があるわけでもなく、なぜか分かりません。簡単にいえば、佐世保市のベッドタウンの町です。

77.木場観音堂1(北松浦郡佐々町木場免)



 木場地区は今も農業が盛んな集落です。佐々町では山手の高場ですが、農業用水は佐々川からポンプアップした施設もできていますが、ひどい渇水に会うこともなく、この施設を使ったということを聞いたことがありません。
 木場観音堂のこの六地蔵塔は、砂岩としては、比較的原形をとどめています。中台が他の物とは上下逆になっていますが、竿石とは、よく合っています。

78.木場観音堂2



 75のすぐ傍にありますが、笠がなくなっています。中台は割れています。これも砂岩製ですから傷みがひどいようです。

79.延命寺(北松浦郡佐々町神田)


 
 延命寺は大正9年にできた新しい真言宗のお寺です。春秋には、おめぐり様が今なお行われています。
 六地蔵さんの笠が載っていませんが、左下に置いてあります。落ちると危ないので降ろしてあるのかも知れません。佐々町の郷土史には笠が載った写真が掲載されています。

80.市瀬観音堂(北松浦郡佐々町市瀬)


 
 市瀬バス停付近の国道から少し入ったところに観音堂があります。古い墓なども寄せ集められていて、木立ちも大きくなり、昼なお暗いところです。ここも笠がなくなっていてお地蔵さんの顔が丸見えです。

81.東光寺(北松浦郡佐々町里免)



 地元の曹洞宗の古刹、東光寺に六地蔵塔があることに気付いたのはずいぶん後になってからでした。何度も行っていたのに、車で駐車場まで行き、階段の参道を登ったことがなかったからです。参道の途中にかなり大型のものがありましたが、笠はなくなっています。住職も六地蔵があることを忘れていました。
 平戸松浦と相浦松浦が戦国時代に戦ったおり、平戸方の出城となったところです。その戦いで、活躍した「伝育坊」は怪力無双と言い伝えられ、郷土史の話として、小学生にも話されています。そのためでしょう、最近佐々の干拓にオープンした遊園地は「でんでんパーク」と名付けられました。公募した中から小学生が名付け親になりました。伝育坊をモチーフにした遊具もできています。
 また、このお寺の本尊「薬師瑠璃光如来」は平戸松浦家の朝鮮出兵にも出かけています。傷んでばらばらになったのを最近修復して金ぴかになっています。


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