2014年2月24日月曜日

60-63.平戸島の六地蔵塔

60.山中観音堂(平戸市山中町)

 西肥バス、堂の元バス停のすぐ近くにあります。宝珠と笠がないためか、龕部がひび割れて、今にも崩れそうに傷みがひどくなっていますが、竿石に刻まれた文字ははっきり読み取れ、右側面に、寶暦八年(1758)と建造年が分かります。

61.喜宝院(平戸市下中野町)

 本来建てられたところは、平戸市内の高麗(こうらい)町の智法院だそうです。ここは現在の区割りでは、戸石川町一部になっています。高麗町といえば、秀吉の朝鮮出兵の際、平戸藩が朝鮮から陶工らを連れて来て、住まわせたところです。
 智法院を維持する人がいなくなり、現在の喜宝院に六地蔵さんは移されたそうです。宝珠と一体型の笠は傍に置かれていますが、かなり大きく、龕部に載せたら不安定なので、子供が触って落としたら大変だと、地べたに置かれています。
 竿石は円柱で2筋模様が入っています。陶工の町にあったのでろくろを回して削ったのだろうかと思いたくなります。

62.明の川内六地蔵(平戸市明の川内町)

 このお地蔵さんも何度か移動させられています。山中観音堂のものと同じところにあったそうですが、明の川内(あけのかわち)に移され、道路工事で移され、道端の現在地に安置されました。竿石はなくなり、他の古い墓石の部品が転用されています。花や柴も飾られていますが、春秋の「おめぐりさん」の時は必ず回ってこられるそうです。

63.緑が丘観音堂(平戸市岩の上町)

 平戸大橋を渡り、すぐ右手の集落にあります。橋が架かり開けたところで、新しい団地などもできています。
 六地蔵さんはコンクリートブロックで囲われて、両側に一体型のお地蔵さんを連れ窮屈そうにはいっています。竿石の材質が上部とかなり違うのが気になります。


2014年2月17日月曜日

58.大川原 59.明性寺

58.大川原の六地蔵塔(平戸市大川原町)


 この石塔は、平戸市の文化財に指定されています。建造年も確認できます。きちんとしていますが、龕部のお地蔵さんの一部が破損しています。明治の廃仏毀釈の時、破壊されたものではないでしょうか。
 拓本に採ってみました。はっきりとはしませんが、左の行に「干時(ときに)天文十二年」と読めますので、1543年です。今回調査したものの中で最も古いものでした。

59.明性寺(平戸市獅子町)



 明性寺(みょうせいじ)は平戸島の西側にあります。西側の集落、根獅子(ねしこ)や春日などは、隠れキリシタンの里でした。そのせいか、お堂も少なく六地蔵は明性寺だけしかありませんでした。
 それにしても、このお地蔵さんには6仏それぞれに、赤い前掛けが丁寧に取り付けられて、花も飾られ大切にされています。



2014年2月10日月曜日

51-57最教寺

51.愛染堂前(平戸市岩の上町)


 本堂左手の愛染堂の前にあります。最教寺は談義所とも呼ばれ、平戸藩の庇護のもと非常に広い敷地に多くの建物と、墓地があります。

52.駐車場上墓地入り口


 
本堂横の駐車場から右手の墓地に入るとすぐのところにあります。この六地蔵さんは、塔というよりは単制でしょう。元文5年(1740)と記されています。近くに、佐川主馬助(しゅめのすけ、平戸藩国老)の墓などがあります。


53.三重塔階段横



 この階段を登ったところに、三重塔があります。この前の広場で、節分の日、子泣き相撲が行われ賑わいます。

54.個人墓地



 本堂左上の個人墓地(志自岐家)にあり、きちんと整備されています。

55.追廻し墓地1



 追廻し墓地に入り、ほどなく灯篭などが建てられた古い墓群の中に、写真のように、龕部をくりぬいて、火袋となった六地蔵塔があります。この形式は他では見ませんでした。
 一族の人が福岡から見えていましたが、熊澤家ということで、平戸藩家老の一族の人でしょう。漢文で書かれた記念碑もあります。

56.追廻し墓地2



 この追廻しの墓地は広くて、通路も行き止まりが多く全体を見て回るのは大変です。中央部あたりに、古い形式の石積みの上に六地蔵塔がおかれたものもありました。

57.追廻し墓地3


 
 追廻しのうちでも、最も奥まったところに、立派な六地蔵塔と大きな石塔の供養塔があります。
 西口松浦家の始祖、松浦信正公、代々家老職、(母親は小麦さまと呼ばれて、平戸藩初代藩主の鎮信公が秀吉の朝鮮征伐の時、連れて来て側室としています)の供養塔で、どちらにも寛永19年(1642)と記され、非常に立派なものです。

 なお、坂本雅柳さんの本には最教寺に「天正3年6月(1575)正体」の六地蔵塔があるように記されていますが、まだ探し当てていません。


2014年2月3日月曜日

49.50.正宗寺、瑞雲寺

49.正宗寺(平戸市鏡川町)

 平戸市の観光名所「寺院と教会が見える風景」、そのザビエル教会のすぐ横に、正宗(しょうじゅう)寺はあり、その境内に、この六地蔵塔はあります。竿石が円柱で灯篭を思わせます。
 この寺には、平戸藩第3代藩主、松浦隆信(宗陽)公の大理石の大きな墓があります。その周りには、殉死した近習の墓も建てられています。

50.瑞雲寺(平戸市鏡川町)

 瑞雲寺はザビエル教会のすぐ下にあり、観光絵葉書にも屋根瓦が写っています。この六地蔵塔の龕部と中台の間に、薄い石板があるのは珍しいものです。竿石も六角柱というのも数少ないものです。
 この寺には、鎖国政策で、国外に追放された、オランダ商館長の娘コルネリアの供養塔も残されています。


2014年1月27日月曜日

45-48.誓願寺

45.墓地入り口右(平戸市戸石川町)



 誓願寺は平戸市の旧城下にあり、周り中に墓地がひしめきあった様相を呈しています。石畳の続く本堂の上にある墓地へ行くと入り口に、左右一対の六地蔵塔があります。
 右側のものは、均整のとれた美しいものです。

46.墓地入り口左


 こちらは、中台が2個あり、その分かなり背が高くなっています。
最初から一対だったのかどうか、分かりません。

47.個人墓地(大)

 最初見たときは、びっくりするほどの高さです。測定したら、3メートル40センチありました。坂本雅柳さんの「九州の六地蔵考」では、特殊なものでは、4.1メートルというのがありましたが、重制の六地蔵塔としては九州で最も高いのではないでしょうか。ということは日本一でしょう。中台は2個、竿石は3個、あまり高いのでお地蔵さんのお顔ははっきり見えないのが難点です。

48.個人墓地(小)

 小さいというのは3.4メートルと比べてですから、他と比べたら十分に大きい部類に入ります。江戸時代に、平戸には豪商と言われる人が何人もいます。そのような人が建てたのでしょう。前の住職に墓地の持ち主を聞きましたが、当人に聞いたら違うと言うので結局分かりません。
 誓願寺の入り口には、江戸時代に架けられた、石のアーチ橋があります。誓願寺橋といいます。平戸には石のアーチ橋は他に2基残っています。有名な幸橋(オランダ橋ともいう)とこれを造る時の雛型として造られた法音寺橋です。


2014年1月20日月曜日

43.44.福島の六地蔵塔

43.大山の六地蔵(松浦市福島町端免)


 大山地区は福島の真ん中の山の中の小さな集落にあります。松浦市の文化財紹介の写真では、笠が傾いて壊れそうな感じがしましたが、現地に行ったらきちんとされていました。近所の方が修理されたとのことでした。
 龕部と中台の間に四角な石があるのは少しおかしい感じです。

 すぐ近くに「大山百人塚」という古墓があり、数十基ほどの五輪の塔や宝篋印塔が雑然と集まっています。これらは、16世紀から17世紀にかけての形式のものと言われています。そんなに昔、有力者がこの付近に何代にもわたって居たのでしょうね。

44.浅谷観音堂(松浦市福島町浅谷免)


 浅谷(あさがや)地区は福島の中心地から少し離れたところで、有名になった「土谷(どや)の棚田」に行く道から、少し海側に入り込んだところにあります。

 
 ここも古い石塔類がコンクリートの台座にきちんと並べられています。寄せ集めで、ただ四角い石を重ねただけみたいなのもあります。六地蔵さんの基礎はしっかり埋め込まれているので大丈夫でしょう。
 
 松浦市のものはおしまいです。次回から平戸市に行きます。


2014年1月13日月曜日

37-42.鷹島の六地蔵塔

 鷹島の六地蔵については、鷹島在住の郷土史家、柴山喜六さんに案内していただいたので、楽にたどり着けました。
 鷹島は昔から石材の島として有名で、現在も続いています。そのせいか砂岩は1基もなく、すべて地元の玄武岩を使用しているように思えました。

37.阿翁浦観音堂(松浦市鷹島町阿翁浦)



 漁港をとり囲む集落の、少し高段に観音堂があり、大きな木の下に六地蔵さんはありました。付近には墓地もあります。
 この石塔の特徴は、竿石2本が6角柱です。鷹島ではここだけです。農村ではなく、漁村にあるのも珍しいことです。

38.里阿弥陀堂(松浦市鷹島町里)

 阿弥陀堂の一角に五輪の塔や他の石碑と一緒に寄せ集められた状態でありました。中台だけがありません。周りの木立が大きくなり、昼間でも薄暗いところでした。

39.刀の元(とうのもと)(松浦市鷹島町里)

  五輪の塔と共に小高い盛り土の上にあります。元寇の戦いで敵の捕虜の首をはねたところと言い伝えられていますが、これらの塔が建てられたのは300年以上後の時代です。六地蔵塔は天正13年(1585)の建立です。
 龕部が赤いのは、子供の病気の回復を願うおまじないだそうで、今も一部の人がやっているそうです。
  
 
 
40.蓮乗院(松浦市鷹島町石川)


 現在はこのお寺に安置されていますが、もとは、高校の校庭にあったというのですが、移動されても完全な姿です。

41.神崎阿弥陀堂(松浦市鷹島町神崎)


 坂本雅柳さんが訪れたときは、なかったようですが、今は神崎(こうざき)地区の阿弥陀堂が建てられています。ここも古い五輪の塔や一体型のお地蔵さん等も寄せ集められています。

42.今宮神社(松浦市鷹島町三里)

 この六地蔵塔の建立は、文政10年(1827)と分かります。 
現在は今宮神社としか呼ばれませんが、神仏混淆の頃、「満福寺(まんぷくじ)」というお寺があったそうです。明治の初めに廃寺になって、神社だけが残りました。
 そばに、小さなお堂がありますが、そこには、平安時代後期の「満福寺の木造阿弥陀如来座像」があるそうです。