136.寿福寺の六地蔵(佐世保市江迎町長坂)
江迎町の夏祭り「千灯篭」が行われる時、水かけ地蔵が安置されるところに、この六地蔵塔もあります。子供の頃は、このお祭りは大変賑わい、楽しみでした。露店が出た通りは、歩くというよりは、人波に流されていく感じでした。
花火大会は当時、近辺にはなく、すごい花火の数に驚くばかりでした。臨時バスが遅くまで満員の客を運んでいましたし、客足が絶えないように感じていました。北松炭田が盛んなころです。その後、炭坑がなくなると寂しさを感じる祭りに思えましたが、佐世保市と合併してからは、佐世保方面からも車で来る人が増え、若い人が増えたように感じます。
137.清浄寺1(佐世保市江迎町田の元)
138.清浄寺2
田の元の曹洞宗清浄寺の六地蔵塔は2つとも、笠がとれています。砂岩製のものはこのようなものが多いようです。
この辺りも、炭坑全盛時分の賑やかさは大したものでした。それに比べたら最近は国道端の商店はまともには開いていないさびしい状態です。
139.猪調観音堂(佐世保市江迎町猪調)
猪調と書いて「いのつき」と読みます。読みにくいからでしょう、松浦鉄道になって、この付近に新しい駅が出来ましたが、駅名は「いのつき」とひらがなで表記されています。
この付近も炭坑時代は、びっしりと住宅が立ち並び、猪調小学校は九州一のマンモス校と呼ばれた時もありました。
2014年6月30日月曜日
2014年6月23日月曜日
131-135.世知原の六地蔵塔
131.洞禅寺1(佐世保市世知原町北川内)
洞禅寺の境内にある、新しい六地蔵塔です。大正10年(1921)ですから彫られている文字も読み取れます。
132.洞禅寺2
境内の外にあるとは思いもしませんでした。しかし、そこは石垣に沿って、参道らしい道が世知原の集落に続いています。今ではこの道を通ってお寺参りをする人は少ないと思いますが、車道が整備される前は良く使われていたことでしょう。
133.開作墓地(佐世保市世知原町開作)
開作(かいさく)という地名ですから、開墾によって開かれたところでしょう。世知原の中心地でも、標高300メートルと言われているのに、それよりもかなり高いところです。
この墓地もかなり古い石塔が見られます。この六地蔵塔も元文4年(1739)と読めます。
今では、伊万里へ抜ける広い道路も整備され、すぐ近くには野球場もできています。春には、野球場の駐車場を会場に、「じげもん市」が開かれ賑わいます。
134.槍巻1(佐世保市世知原町槍巻)
135.槍巻2
2基の六地蔵塔が並んでいますが、比較的しっかりしている方に、「奉再建鑓巻邑中」と享保17年(1732)と彫られていますから、この時再建ですから、建てられたのはかなり古いころと思われます。
お地蔵さんのすぐ右側は、炭坑時代の住宅が今も残っており、改築もされていますが、その頃を偲ばせるところです。左側が昔からの集落です。
洞禅寺の境内にある、新しい六地蔵塔です。大正10年(1921)ですから彫られている文字も読み取れます。
132.洞禅寺2
境内の外にあるとは思いもしませんでした。しかし、そこは石垣に沿って、参道らしい道が世知原の集落に続いています。今ではこの道を通ってお寺参りをする人は少ないと思いますが、車道が整備される前は良く使われていたことでしょう。
133.開作墓地(佐世保市世知原町開作)
開作(かいさく)という地名ですから、開墾によって開かれたところでしょう。世知原の中心地でも、標高300メートルと言われているのに、それよりもかなり高いところです。
この墓地もかなり古い石塔が見られます。この六地蔵塔も元文4年(1739)と読めます。
今では、伊万里へ抜ける広い道路も整備され、すぐ近くには野球場もできています。春には、野球場の駐車場を会場に、「じげもん市」が開かれ賑わいます。
134.槍巻1(佐世保市世知原町槍巻)
135.槍巻2
2基の六地蔵塔が並んでいますが、比較的しっかりしている方に、「奉再建鑓巻邑中」と享保17年(1732)と彫られていますから、この時再建ですから、建てられたのはかなり古いころと思われます。
お地蔵さんのすぐ右側は、炭坑時代の住宅が今も残っており、改築もされていますが、その頃を偲ばせるところです。左側が昔からの集落です。
2014年6月16日月曜日
128-130.吉井町の六地蔵塔
128.正平寺跡(佐世保市吉井町田原)
昔の正平寺跡に小さなお堂が立ち、竿が短い六地蔵さんがあります。お地蔵さんの顔に赤土が塗られているのは、今も、この地区には子供の病気の回復を願う、迷信が残っているようです。石塔には苔が着きいかにも古そうです。
129.祥雲寺参道(佐世保市吉井町福井)
祥雲寺の入り口は、吉井北小学校の方が本堂には近くなっていて、この階段がある参道は今では、裏口という感じです。ここまでの道もはっきりせず、お寺への道として使っている人はないでしょう。
竿石や中台がしゃれた造りになっています。新しいものと遠目にも分かります。今回調べたものの中で最も新しく、昭和9年の建立です。その頃までは、この参道からのお参りが多かったのではないでしょうか。
130.草の尾の六地蔵塔(佐世保市吉井町草の尾)
昔ここに、お寺があったそうですが、地元の人も寺の名前を知らないとのことでした。周りに墓地があり、藪の上の段に平坦なところがあり、そこが寺跡でしょう。
草の尾(そうのお)という地名は、子供のころから知っていましたが、行ったのは今回が初めてでした。近くには、合戦原という地名もあり、戦国時代の領地争いに巻き込まれたのではないでしょうか。山の中の辺鄙なところというイメージがありましたが、平地が広がり、1枚で3反以上の広い田んぼもあり、豊な盆地を思わせる一帯でした。
昔の正平寺跡に小さなお堂が立ち、竿が短い六地蔵さんがあります。お地蔵さんの顔に赤土が塗られているのは、今も、この地区には子供の病気の回復を願う、迷信が残っているようです。石塔には苔が着きいかにも古そうです。
129.祥雲寺参道(佐世保市吉井町福井)
祥雲寺の入り口は、吉井北小学校の方が本堂には近くなっていて、この階段がある参道は今では、裏口という感じです。ここまでの道もはっきりせず、お寺への道として使っている人はないでしょう。
竿石や中台がしゃれた造りになっています。新しいものと遠目にも分かります。今回調べたものの中で最も新しく、昭和9年の建立です。その頃までは、この参道からのお参りが多かったのではないでしょうか。
130.草の尾の六地蔵塔(佐世保市吉井町草の尾)
昔ここに、お寺があったそうですが、地元の人も寺の名前を知らないとのことでした。周りに墓地があり、藪の上の段に平坦なところがあり、そこが寺跡でしょう。
草の尾(そうのお)という地名は、子供のころから知っていましたが、行ったのは今回が初めてでした。近くには、合戦原という地名もあり、戦国時代の領地争いに巻き込まれたのではないでしょうか。山の中の辺鄙なところというイメージがありましたが、平地が広がり、1枚で3反以上の広い田んぼもあり、豊な盆地を思わせる一帯でした。
2014年6月9日月曜日
122-127.佐世保市南部の六地蔵塔
122.青蓮寺の六地蔵塔(佐世保市日宇町)
真言宗の大きなお寺なので、六地蔵のひとつはあるだろうと探し始めたけど、見つけ出せずに、住職に聞いたら、鍵を持って来て、横木戸を開けて、隣の松尾神社の方へ上り、少し藪を通ったところにありました。ここもお寺の敷地だそうです。神仏混淆の時の名残でしょう。
砂岩ではなく立派なものですが、笠がありません、倒木で壊れたのでしょうか。参道らしい道があるようでも、今は全く使われていません。付近には、他の石仏も数基かありました。
123.黒髪町地蔵堂(佐世保市黒髪町)
黒髪町の椿が丘団地のところにありました。団地造成で敷地は削られ、古い墓もあったようですが、狭い一画となっています。赤土を塗る風習は聞きましたが、黄色は何を意味しているのでしょうか。
少し前までは、88か所めぐりの札所で、お巡りさんが見えていたそうですが、今は途絶えています。
124.三島墓地(佐世保市広田町)
ここは三島山古墳とも言われ、古墳時代にはこの地方の小豪族の墓があったのでしょう。
こんもりした小山の下に、墓地があり、入り口付近に六地蔵塔はあります。かなり背丈が高いものですが、竿石は1石でできています。付近には神社はありますが、お堂はありません。
その後、道路工事のため、古い墓地の一画は撤去され、この六地蔵さんは今では見ることができません。
125.大念寺(佐世保市早岐町)
この六地蔵塔は、なかなかしゃれた造りと思ったら、大正11年(1922)と新しいものです。この頃は、機械を使って石仏を造るようになっていたのですね。
このお寺は木造の古い山門が有名です。この辺りは空襲で焼けることがなかったようです。
126.祇園寺(佐世保市針尾町)
何と言っても、こんなのは始めて見ました。六地蔵塔の笠の上に観音さんが立って乗っています。どういう意味か分かりません。戦国時代には、針尾氏の居城があったところの付近です。
127.庵の浦阿弥陀堂(佐世保市庵の浦町)
六地蔵さんと思い、よく見たら、お地蔵さんは4体しか彫られていません。庵の浦の中でも、小さな椎木という集落で、大切にされています。耕地はせまく、海までは崖を下るようなところで、昔は半農半漁の生活だったのでしょう。
真言宗の大きなお寺なので、六地蔵のひとつはあるだろうと探し始めたけど、見つけ出せずに、住職に聞いたら、鍵を持って来て、横木戸を開けて、隣の松尾神社の方へ上り、少し藪を通ったところにありました。ここもお寺の敷地だそうです。神仏混淆の時の名残でしょう。
砂岩ではなく立派なものですが、笠がありません、倒木で壊れたのでしょうか。参道らしい道があるようでも、今は全く使われていません。付近には、他の石仏も数基かありました。
123.黒髪町地蔵堂(佐世保市黒髪町)
黒髪町の椿が丘団地のところにありました。団地造成で敷地は削られ、古い墓もあったようですが、狭い一画となっています。赤土を塗る風習は聞きましたが、黄色は何を意味しているのでしょうか。
少し前までは、88か所めぐりの札所で、お巡りさんが見えていたそうですが、今は途絶えています。
124.三島墓地(佐世保市広田町)
ここは三島山古墳とも言われ、古墳時代にはこの地方の小豪族の墓があったのでしょう。
こんもりした小山の下に、墓地があり、入り口付近に六地蔵塔はあります。かなり背丈が高いものですが、竿石は1石でできています。付近には神社はありますが、お堂はありません。
その後、道路工事のため、古い墓地の一画は撤去され、この六地蔵さんは今では見ることができません。
125.大念寺(佐世保市早岐町)
この六地蔵塔は、なかなかしゃれた造りと思ったら、大正11年(1922)と新しいものです。この頃は、機械を使って石仏を造るようになっていたのですね。
このお寺は木造の古い山門が有名です。この辺りは空襲で焼けることがなかったようです。
126.祇園寺(佐世保市針尾町)
何と言っても、こんなのは始めて見ました。六地蔵塔の笠の上に観音さんが立って乗っています。どういう意味か分かりません。戦国時代には、針尾氏の居城があったところの付近です。
127.庵の浦阿弥陀堂(佐世保市庵の浦町)
六地蔵さんと思い、よく見たら、お地蔵さんは4体しか彫られていません。庵の浦の中でも、小さな椎木という集落で、大切にされています。耕地はせまく、海までは崖を下るようなところで、昔は半農半漁の生活だったのでしょう。
2014年6月2日月曜日
119-121.三川内近辺の六地蔵塔
119.三川内本町の六地蔵塔(佐世保市三川内町)
三川内の町角に立ち、付近の人がきれいにして花も枯らすことなく、新しいものに取り換えられています。民家に近いところですから、自然にそうなるのでしょう。
ここは、坂本雅柳さんも訪ねられていますが、コメントはありません。文政11年(1828)の建造ですから、江戸後期です。
120.吉福町墓地の六地蔵塔(佐世保市吉福町)
国道からほんの少し上った墓地にあります。佐世保市内では最も古いものです。建造年が読めるので、拓本に採ってみました。天文十四年(1545)と見るか、天文十七年と読むか、郷土史家の中でも意見は分かれています。
建造者の名前も分かります。「平朝長周防守純清」とあります。このあたりは、江戸時代以前には、大村の領地で、平安時代大村氏の下向に従って来た有力な家臣で、三川内方面を治めた人ではないでしょうか。朝長とか朝永という姓は県北一帯によく見られます。佐世保市長の朝長さんもその一党の子孫になられるのではないでしょうか。
121.天満宮の六地蔵塔(佐世保市横手町)
120の吉福町からすぐ近くの横手町にも、そっくりなのがあります。残念ながら、年代が書かれていません。材質といい、形状、古さ具合も同じと思えます。この六地蔵さんも、天文期に造られたものとみて差し支えないでしょう。
今は、天満宮となっていますが、小さなお堂もあります。墓地もあるのですから、昔、お寺があり、そこに建てられたものでしょう。
三川内の町角に立ち、付近の人がきれいにして花も枯らすことなく、新しいものに取り換えられています。民家に近いところですから、自然にそうなるのでしょう。
ここは、坂本雅柳さんも訪ねられていますが、コメントはありません。文政11年(1828)の建造ですから、江戸後期です。
120.吉福町墓地の六地蔵塔(佐世保市吉福町)
国道からほんの少し上った墓地にあります。佐世保市内では最も古いものです。建造年が読めるので、拓本に採ってみました。天文十四年(1545)と見るか、天文十七年と読むか、郷土史家の中でも意見は分かれています。
建造者の名前も分かります。「平朝長周防守純清」とあります。このあたりは、江戸時代以前には、大村の領地で、平安時代大村氏の下向に従って来た有力な家臣で、三川内方面を治めた人ではないでしょうか。朝長とか朝永という姓は県北一帯によく見られます。佐世保市長の朝長さんもその一党の子孫になられるのではないでしょうか。
121.天満宮の六地蔵塔(佐世保市横手町)
120の吉福町からすぐ近くの横手町にも、そっくりなのがあります。残念ながら、年代が書かれていません。材質といい、形状、古さ具合も同じと思えます。この六地蔵さんも、天文期に造られたものとみて差し支えないでしょう。
今は、天満宮となっていますが、小さなお堂もあります。墓地もあるのですから、昔、お寺があり、そこに建てられたものでしょう。
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