2014年6月2日月曜日

119-121.三川内近辺の六地蔵塔

119.三川内本町の六地蔵塔(佐世保市三川内町)



 三川内の町角に立ち、付近の人がきれいにして花も枯らすことなく、新しいものに取り換えられています。民家に近いところですから、自然にそうなるのでしょう。
 ここは、坂本雅柳さんも訪ねられていますが、コメントはありません。文政11年(1828)の建造ですから、江戸後期です。
 
120.吉福町墓地の六地蔵塔(佐世保市吉福町)



 国道からほんの少し上った墓地にあります。佐世保市内では最も古いものです。建造年が読めるので、拓本に採ってみました。天文十四年(1545)と見るか、天文十七年と読むか、郷土史家の中でも意見は分かれています。



 建造者の名前も分かります。「平朝長周防守純清」とあります。このあたりは、江戸時代以前には、大村の領地で、平安時代大村氏の下向に従って来た有力な家臣で、三川内方面を治めた人ではないでしょうか。朝長とか朝永という姓は県北一帯によく見られます。佐世保市長の朝長さんもその一党の子孫になられるのではないでしょうか。

121.天満宮の六地蔵塔(佐世保市横手町)



 120の吉福町からすぐ近くの横手町にも、そっくりなのがあります。残念ながら、年代が書かれていません。材質といい、形状、古さ具合も同じと思えます。この六地蔵さんも、天文期に造られたものとみて差し支えないでしょう。
 今は、天満宮となっていますが、小さなお堂もあります。墓地もあるのですから、昔、お寺があり、そこに建てられたものでしょう。


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