御厨町でも小さな集落の小船地区の道路の分岐点に庚申塚と呼ばれている所に六地蔵さんもあります。庚申塚は砂岩のかなり大きな板碑です。こんもり盛りあがったところには椿の株立ちの下に2つの石塔はあります。昔は大木の椿の木があったのではないでしょうか。数百年の間に倒れたか、切り倒されたか、その後に芽だった株もずいぶん大きくなっています。
31.円福寺(松浦市御厨町西木場免)
円福寺の参道の階段横にあります。このお寺もこの参道だけが昔は通り道だったでしょうが、今はぐるっと回った舗装道路が造られ、お寺参りも、車で行くのが普通になったようです。駐車場も上の本堂そばに出来ています。
六地蔵さんには、新しい前掛けが付けてあり、近くのおばあさんによるのでしょう、花も添えられています。
32.御厨街道脇(松浦市御厨町前田免)
平戸街道・御厨筋の伊万里に向かって右手、高台の古墓の藪の中に転がっていたので、起こして笠を乗せて、写真に撮りました。右側のものは竿と思い載せて見ましたが、龕部に彫られた穴が小さすぎてどうしても合いませんでした。別のものでした。
この六地蔵さんを見つけるきっかけになったのは、「御道中図絵」という宝暦年間に出された絵図に六地蔵と書かれていたからでした。次にその部分の写真を示します。左端です。
33.七郎神社(松浦市御厨町前田免)
ここは明治になってから神社が移され、寺やお堂は全くありません。神社の敷地には、六地蔵さんはないものと調べもしませんでしたが、こんもりとした大きな老木の下に古くて立派な六地蔵さんです。
ここも御厨筋のすぐ傍ですから、御道中図絵にも記入されています。神社が移って来る前から、六地蔵さんは鎮座されていたのです。
この辺りに、代官役所、札場、里村庄屋などがありますから、今も当時も御厨の中心地です。他にもあるのではなかろうかと、絵図を入念に調べましたが、田平から今福の街道筋にはこの二つ以外は見つけることができませんでした。